「忙しい」を放っておいてはいけない

思えば、私が新社会人としてはじめて配属されたときについた教育担当担当の先輩技術者は本当に尊敬できる巣晴らしい人だった。直接的な実務はあまり関わりがなかったので、それはまた別の先輩技術者に教わったのだが、エンジニアとして生きていくための根本みたいなところは、その人に教わった。

この人に教わったことは、今でも脳裏に深く残っていて、仕事に関してだけではなくて、色々な場面でよみがえる。

中でも一番、折につけ思い出すのは、「定常的に忙しいなら、根本的な問題がある。そういう状態を放っておいてはいけない」ということだ。

これに対するうまい例えを最近ウェブの記事で見つけた。

あるところに新しい斧を手に入れた木こりがいた。
斧は切れ味素晴らしく、1日でたくさんの木を切り倒すことができた。
毎日毎日、彼は朝から晩までせっせと仕事に励んだ。
しかしそれと反比例して、日に日に切り倒せる本数は少なくなっていった。
それを見ていた人はアドバイスした。
「斧を研いだらどうだ?。刃がボロボロになってるじゃないか。はかどらないのは当然だよ」
すると、木こりは答えた。
「そんなことをしている暇はない。私は忙しい。もっと数多くの木を切り倒さなければならいのだから」

こういうのを「木こりのジレンマ」と言うらしい。

私たちがいた開発チームはとにかく忙しかった。会議も多かったし、開発スケジュールはタイトだったので、多くのエンジニアが定常的に残業を行い、それでも工程を維持するためにわき目も振らずに必死だった。

で、常に「忙しい」を連発して、その状況を改善する余裕も暇もないと思っていて、そのことがさらに「急がしい」状況を作り出していた。
その先輩が改善しようとしていたことは、まさに「斧を砥げ」ということだったのだと、今ならよく理解できる。

そもそもエンジニアは、「目の前にある問題を解決する工夫」を作り出す仕事だ。目の前に与えられた状況から、改善すべき点を洗い出して、現状の問題を解決する手段を作り出すのがエンジニアだ。そのエンジニアが、そういう工夫を怠ってはいけない。

優秀な木こりでであれば、斧の状態が万全かどうかを時々はチェックして必要なら手入れをするだろう。
ましてや、我々エンジニアであれば、もっと効率よく木が切れないかを考えて、チェーンソーを開発したり、切り倒した木を素早く運ぶための車やベルトコンベアなどの輸送システムを作ろうと考えるべきところだ。

本来、エンジニアは「楽して効果を上げる」方法を常に考える職業なのだ。むしろ、「忙しい」時ほど、少し手を止めて、そういう工夫ができないか考えて実行するいいチャンスなのだ。

「忙しい」「忙しい」を連発するエンジニアは、その程度の工夫もできず、自分のおかれている問題すらも解決できない駄目エンジニアだ、と自分で公表しているようなものだ。